<第6弾>FLASPO × SMOUT"推し地域の魅力"エッセイコンテスト 投稿エッセイ作品を大公開! | FLASPO MAGAZINE

<第6弾>FLASPO × SMOUT”推し地域の魅力”エッセイコンテスト 投稿エッセイ作品を大公開!

若者が「自分だけが知る“推し地域”」の魅力を自由に綴ることを通じて、地域と若者・企業がつながる機会を生み出すエッセイコンテストを、2025年7-8月にFLASPOと地域とつながるプラットフォーム「SMOUT」 が共同開催!
全国各地から合計70以上の”推し地域”をテーマとした作品が集まりました!

そこで、第6弾の今回も、惜しくも受賞しなかった素晴らしい作品たちをご紹介します!

読むと、地域に関わりたくなる、自分も地域の魅力を言葉にしたくなる、心に残る作品ばかりです!

※コンテスト概要はこちら👇


<エッセイ紹介>

(26)「丹波の春日町、ヒーローの故郷」(ペンネーム:ちとく)

丹波市春日町の朝は、霧に包まれる。田んぼや山々が白いベールに覆われ、まるで時間が止まったような静寂が広がる。この「丹波霧」は、都会の喧騒を忘れさせ、心を落ち着かせる。48歳で高知からこの地に移り、「HEROESプロジェクト」を始めた私にとって、丹波市は単なる新天地ではない。ここは、限界集落の課題を希望に変える、ヒーローたちの故郷だ。

高知での生活を離れ、丹波市を選んだ理由は、春日町の風景と人々の温かさにあった。初めて訪れた日、地元の農家さんが「これ、食べてみて」と差し出した丹波黒大豆の枝豆は、ほのかな甘みと大地の力を感じさせた。その瞬間、私はこの地で障害者福祉と地域創生を融合させた挑戦を始めたいと思った。丹波市は、人口減少や高齢化、農業の担い手不足といった課題を抱えるが、同時に、豊かな自然とコミュニティの絆が息づく。HEROESプロジェクトは、その可能性を最大限に引き出す試みだ。

HEROESプロジェクトは、元高校野球監督の河内太郎氏の信念に根ざしている。脳卒中で障がいを負った彼は、「誰もが夢を追い続けられる環境を」と語る。その言葉に共感し、私は障害者福祉を軸に、若者やアスリート、高齢者をつなぐ拠点を丹波市春日町に作ることを決めた。プロジェクトの核は、無料の高校生アスリート寮だ。寮生は福祉実務や丹波黒大豆の農業に従事し、寮費を免除される仕組みは日本初の試みだ。たとえば、朝霧の中での農業体験は、若者に自然と向き合う力を与え、障がい者や高齢者との交流を通じて地域の絆を深める。

丹波市には、知られざる魅力が溢れている。丹波竜の化石が発見された地層は、子どもたちの好奇心を刺激する。黒井城跡の雲海は、まるで天空に浮かぶような幻想的な風景だ。市島町の有機農業は、1970年代から続く「丹波市有機の里づくり」の結晶であり、持続可能な未来を示している。これらの魅力を、HEROESプロジェクトを通じて発信したい。たとえば、地元の高校生がSNSで丹波の風景や特産品を紹介するキャンペーンや、霧を活かした朝のランニングイベントを企画中だ。

丹波市は、派手な観光地ではないかもしれない。しかし、霧の中で見つける小さな出会いや、地域の人々の笑顔が、私の心を動かす。HEROESプロジェクトを通じて、若者が夢を追い、障がい者が活躍し、高齢者が孤立しないコミュニティをこの地で築きたい。丹波市春日町は、私にとってヒーローたちが生まれる場所。霧の向こうに、希望の未来が見える。

推し地域= 丹波市

「丹波の春日町、ヒーローの故郷」

(27)「ただいまを感じる、春の国立」(ペンネーム:coco)

初めて国立駅に降り立ったのは、大学1年生の春。アルバイトの面接のためだった。
人の多さに少し緊張していたけれど、まっすぐに伸びる大学通りと並木の景色に、ふっと肩の力が抜けたのを覚えている。

面接を受けたカフェは、大学通り沿いにある路面店だった。駅からも近く、通りがかりにふらっと立ち寄る人も多い。
老若男女が行き交う中、常連のおじいちゃんはいつもブラックコーヒーを頼む。姿が見えると、毎回コーヒーを準備して待っていた。
おじいちゃんの話はたいてい昔の自慢話。でも、聞いているうちにその時間が楽しみになっていた。

テラス席には、犬の散歩途中に寄ってくれるお客さんもいて、休憩中や時間外に一緒に遊ばせてもらっていた。
勉強に集中する学生さん、仕事帰りに立ち寄るお姉さん──みんなが思い思いの時間を過ごしていた。
ときにはイベントを開催していたため、地域の方々と触れ合うことも多く、つながりを感じることができた。

印象に残っているのは、国立駅にあるケーキ屋さんの人気ケーキを選出し、カフェで扱っているコーヒーの種類ごとに合うペアリング集(地図)をつくってお客さんに紹介していたことだ。好きがつながって、お客さんに知ってもらえることがうれしかった。

国立の四季は、大学通りを歩くとよくわかる。
春には桜のトンネルができる。その足元に咲く菜の花の黄色が、ピンクの花びらと重なって、まるで絵の中を歩いているようだった。

夏になると、木々の葉は濃くなり、緑のトンネルの隙間からキラキラした日差しが差し込む。
自転車で風を切って通り抜ける瞬間が、心地よくて好きだった。

秋には一変して、並木が黄金色に染まる。イチョウの葉が舞い落ち、歩道には黄色いじゅうたん。
季節が変わるたびに、「このまちに住んでいてよかった」としみじみ思った。

国立の夜は静かで、どこかほっとする空気がある。
アルバイトが終わったあと、駅近くのベンチで友人とたわいのない話をして過ごすのが、ささやかな楽しみだった。
空はすっかり暗くなっているのに、道沿いの木々やカフェの灯りがふんわりと周囲を照らしていた。

テストのこと、恋のこと、将来のこと──正解のない話ばかりだったけれど、あの場所で交わした言葉は、なぜか今も残っている。
静かな夜の町が、迷っていた私たちの話を、ただ黙って受け止めてくれていたような気がする。

地域の人たちとの何気ない会話、四季折々の風景、友人との静かな夜の時間──
それらが私の心をそっと満たしてくれる。

国立は、私にとっては「ただいま」と言いたくなる場所だ。とくに春になると国立の桜並木をふと思い出す。

あの頃の私と今の私をつなぐ、あたたかい場所。
それが、国立という町だ。

推し地域=国立駅(東京都国立市)

「ただいまを感じる、春の国立」

(28)「山のある日常」(ペンネーム:はな)

買い物を終え、スーパーから出た時に、思わず写真を撮ってしまったことが何度あっただろうか。オレンジ色になり始めた空と少しくすんだ緑色をする山の2ショットが私の携帯には何枚も存在してる。

「山が近い!」最初に抱いた感想はそれだった。
住むことが決まった日から、インターネットで検索したり、地図アプリを眺めたりしていたから、山が近いことはわかっていたつもりだった。

でも、実際に来てみたら想像以上に近かった。
なんてったって、木のもこもこした感じが肉眼でわかる。

家からも、コンビニの駐車場からも、スーパーからも山がみえる。
外に出るたびに山々と目が合う日々。

眩しいほどの太陽に照らされる山はとても元気な緑色。
夕焼けに染まる頃には、落ち着いた緑色。
夜になると暗闇に紛れ、ポツポツと民家の明かりが光る。

間違いなく、私が一番多くみているのは、オレンジ色になり始めた空と少しくすんだ緑色をする山の姿。
きっと、スーパー帰りの17時頃の山なんだと思う。

三好で暮らし始めて、もうすぐ半年。
点在していた薄いピンクが減っていくのをみて、春の終わりを感じ、
緑が濃くなり、葉がふさふさしていくのをみて、夏が近づいてくるのを感じた。
きっと秋の訪れも、冬の終わりも山に教えてもらうんだろうな。

また次の春が来る頃に、私はこの場所を去ることが決まっている。
薄いピンクが点在する山を見て、未来の私が何を思うのかが気になる昼下がりだった。

推し地域=徳島県三好市

「なんてことない夏の日」

(29) 「いつでもそこに」(ペンネーム:りせこ)

私は千葉県茂原市にあるキリスト教系の幼稚園に通っていた。クリスチャンではないけれど、「遊ぶことは学ぶこと」という園の教育方針が親に刺さったのだ。幼稚園の敷地内には教会があった。

普段は園舎でおえかきしたり、おみせやさんごっこしたり、プリキュアごっこしたり。

ちょっと違うのは水曜日で、その日は教会での礼拝の日だった。長い階段をみんなで登って教会へ向かう。儀式のための神聖な場所は幼稚園生には大きく静かで薄暗く、少し怖かった。ふざけちゃいけないところだって小さいながらにみんな分かってた。

でもその緊張は半日で終わる。おばあちゃんがお昼にお迎えに来て、近くのパン屋でソーセージパンを買ってもらうのが楽しみだった。

そんな日々もあっという間に過ぎ、卒園式の日、教会は小さな背中たちをそっと送った。

それから十数年後、私は美大生になった。西洋美術史の授業を受けていると時々「あ、これ幼稚園の時に先生が話してくれた(聖書の)お話だ」とか、なんとなく自分の中にキリスト教のバックグラウンドがあることに気づく場面が何度かあった。知らない間に世界が広がって見えていたことに気づいた。

さらに数年後、私は就職できずに地元に帰ってきた。特にやることもないので散歩していると、なんとなく教会のことを思い出したので足を向けた。

久しぶりに訪れた教会は記憶よりも小さく、周りに生えていた大きな木は切られ、ドアも中途半端にガラス張りに改修されていた。姿がちょっと変わってしまった、けれどそこに「いた」。ここでずっと待っていた。

茂原は今でこそ人口減少が著しい土地だが、かつてはその周辺地域の賑わいの中心というか憧れの地だったらしい。昭和初期にできたこの教会もきっとただの礼拝をする場所というだけではなく、少し背伸びした憧れの象徴だったに違いない。また、園児たちにとっては一種の大人への通過儀礼のための建物だ。私はこの教会と茂原の土地で育った。

小さな田舎の町だから市民の多くは学校を離れると同時に外へ出てしまう。ほとんどの卒園児たちも都会に出て行ってしまっただろう。それぞれがたどり着いた街で自分の幸福を見つけていることだろう。

でも、もし慌ただしい毎日に疲れ切ってしまったら、もし都会の真ん中でひとりぼっちだと思ったら、少しだけ胸に手を当ててみて。

あなたが過ごした場所はちゃんとあなたを守ってくれるから。

推し地域=千葉県茂原市

「心がかえる場所」

(30) 「犬吠埼とロカ岬」(ペンネーム:わし)

私は広島出身、千葉在住、東京勤務。広島にいた頃は、海が日常の一部だった。自転車でふらっと出かけたり、夏休みに家族と釣りをしたり、友人と海水浴を楽しんだり。潮の香りや波の音が、暮らしのリズムに溶け込んでいた。

 けれど、都会の暮らしは別世界である。高層ビルと人の波に囲まれて、海は“遠いもの”になってしまった。そんなある日、ふと潮風が恋しくなり、この夏、初めて銚子を訪れた。

 銚子といえば、新鮮な魚や絶景のイメージが強いが、実際に歩いてみると、そこにはもっと深く、静かな魅力があった。まず印象的だったのは、銚子電鉄の犬吠駅。ポルトガルの宮殿を模した白亜の駅舎は、小さな町に忽然と現れる異国情緒溢れる空間であり、心が奪われた。

 駅から10分ほど歩くと、犬吠埼灯台に到着した。海風に吹かれながら崖の上に立つと、そばには石碑があり、「ユーラシア大陸最西端に位置するポルトガルのロカ岬と“姉妹岬”である」と書かれている。そのことを知った瞬間、胸がじんわりと熱くなった。

 というのも、私は大学でポルトガル語を専攻し、短期留学した際にロカ岬に訪れたことがあるからだ。大西洋を前にして感じたあの孤独を今でもはっきり覚えている。ホームシックだった私は、海の向こうにいる家族を思い、空と海で私たちは繋がっているという安心感を抱くことで、異国での心細さに耐えることができた。そんな記憶が、犬吠埼の風と海の煌めきに触れた瞬間、鮮やかに蘇った。目には見えないけれど、確かに存在する“繋がり”が心に灯る場所である。それは、過去と現在が、時を越えて静かに重なっていく不思議な感覚でもあった。

 犬吠埼は、長閑で落ち着いており、派手さはないかもしれない。けれど、ここには、人生のある瞬間と深く響き合い、過去の大切な記憶や思いをそっと取り戻してくれる風景がある。

 灯台の白い光が、海の果てまでも照らすように。

推し地域= 銚子市犬吠埼

「海を越え、時を越えて、繋がる場所」

ぜひあなたも自分の”推し”地域を想い、言葉にしてみるのはいかがでしょうか!

次回第7弾もお楽しみに!


第1〜5弾はこちらから👇

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