若者が「自分だけが知る“推し地域”」の魅力を自由に綴ることを通じて、地域と若者・企業がつながる機会を生み出すエッセイコンテストを、2025年7-8月にFLASPOと地域とつながるプラットフォーム「SMOUT」 が共同開催!
全国各地から合計70以上の”推し地域”をテーマとした作品が集まりました!
そこで、第10弾の今回も、惜しくも受賞しなかった素晴らしい作品たちをご紹介します!
読むと、地域に関わりたくなる、自分も地域の魅力を言葉にしたくなる、心に残る作品ばかりです!
※コンテスト概要はこちら👇
<エッセイ紹介>
(46)「北海道・奥尻島」(ペンネーム:まいす)
2023年9月、大学生最後の夏休み。僕は北海道で一人旅を楽しんでいた。タウシュベツ川橋梁や夕張などを訪れ、最後に北海道の南西に位置する離島、奥尻島へと飛んだ。
奥尻と聞いて最初に思い浮かぶのは、1993年北海道南西沖地震の津波であった。空港からはバスでまず資料館に向かい、スタッフの方から丁寧な説明を受けながら展示を見学した。その後歩いたのは被害の大きかった青苗地区。嵩上げされた地区、高台の住宅、多数整備された避難路、漁港に広がる人工地盤——それまで知識としてのみ理解していた復興の様子を、涼しい海風に吹かれながら歩いて体感した。
運転免許を持っていなかった僕は、本数の限られたバスを駆使し、島の東側の色々な箇所で美しい海の風景を楽しんだ。ダイヤの隙間には徒歩で何時間も散策。同じ運転手さんに何度も会い、「さっき降りたところからここまで歩いてきたの!?」と笑われることもあった。あるときは小銭と千円札を切らして運賃が払えず焦ったが、「また乗るなら町で両替してから後でまとめてでいいよ」と言われ心の中で何度もお辞儀。柔軟な対応に感謝すると共に、島の温かさを実感した。
セイコーマートや港のある奥尻地区で1泊。夕食はGoogleマップで見つけた「双葉寿し」さんで地元の海の幸をいただいた。客は僕一人だけで大将とお話が弾み、帰り際にはオリジナルの湯呑みをいただいた。今でも自宅で使う度、対岸の北海道本島を望める奥尻の海の光景や町並みが蘇る。帰りの空港では、奥尻の美味しい冷たい水を貰った。名残惜しくも飛行機は短い滑走路を素早く離陸し、僅か30分で函館まで戻ってきてしまった。
観光地らしい派手さの無い居心地の良い閑静な島。たった一度きりの訪問で語るのも烏滸がましい気もするが、様々な人に広く訪れてほしいと感じた印象深い落ち着いた島だった。次は船で来ようかな。
推し地域= 奥尻島
「青苗の日常。漁港には人工地盤「望海橋」、対岸は北海道本島。」
(47)「謎は残されたままで」(ペンネーム:かなりあ)
7月最後の日曜日。僕らを乗せた一両編成の列車は、午前8時半過ぎに新庄駅に入線した。静止した車両をわらわらと出る乗客らを横目に、僕はゆったりと腰をあげ、最後に列車を降りた。
僕の住む秋田と山形は陸続き。近いけど、実は、ほとんど足を運んだことがない。そんな僕が来形したのは、仕事の都合で「河北町」に行くことになったから。町へ辿り着くためには、この駅で乗り換える必要があった。改札を出た僕は発車まで数時間をやり過ごすため、無料の休憩スペースに腰を下ろした。
その発車時刻に30分と迫った頃、気分転換も兼ねて、駅舎の外へ出てみることにした。うわっ。あっつ。家を出る頃には穏やかだった太陽にあの頃の面影はなく、今や地面に陰ができないくらいの角度から鋭利な光を差しては、豪快に夏を演出している。全身に注ぐ夏に耐えながら、左手に続く道を進んだ。
キッチンカーを通り過ぎ、駅に併設された店舗を横切り、駐車場の中を突き進むと、目の前に広場が現れた。広さはサッカーコート1面ほど。小さな真四角のタイルが、碁盤の目状に敷かれている。
広場の中央には、噴水のような造形物があった。地面が均一な深さで真円にくり抜かれ、そこから高さの違う金属の円柱が数本伸びている。向かって左手には、階段状の座席があった。野球場の内野席みたいなシートが、奥に向かって伸びている。そこに座ると、中央のオブジェを拝む恰好になりそうだ。
ざっと辺りを見渡した後、近くにあった木製のベンチに座った。リュックに入れたペットボトルを手に取り、だいぶぬるくなったお茶で喉を潤していく。
それにしても、一体ここは何なのだろう?
キャップを締めながら、暑さに溶けそうな脳を必死に回転させる。
もし、中央のアレが「噴水」だとして、水が流れていない理由は何だ。この時期だからこそ、水を湧き出させた方が良い気がするのに。それができないくらいの水不足に陥っているのだろうか。いや、ひょっとすると「噴水」ではないのかもしれないぞ。地元の近代アート作家の作品で、駅の周年記念に寄贈した代物って可能性もある。
としても、だ。あの座席は何だろう。噴水でもアート作品でも、あれだけ大きな席を用意する必要はなく、今座っているベンチを点々と増やしてあげれば十分愉しめる。スポーツの観客席に見えるが、地面が凸凹しているこの場所はスポーツ向きではなさそうだし。
ジー。ジー。ジー。
けたたましいセミの声が、僕をリアルの広場に引き戻した。てか、あっつ。ポケットのスマホが異様な熱を帯びている。「早く涼しい場所に行け」と言わんばかりのソイツを点けると、出発まで10分を切っていることが分かった。急いで駅に引き返し、無事にお目当ての列車に乗車できた。
それにしても、一体あそこは何だったのだろう?
胸をかすめた謎は解き明かされることのないまま、今この瞬間も、あの場所に息づいている。推し地域=山形県新庄市
「水の出ない噴水から溢れたのは、想像だった。」
(48)「言葉に仕切れない地域のチカラ」(ペンネーム:カンカーノ)
ガラガラと引き戸の音が数分ごとに鳴る。
その音に呼応するように一品、テーブルに置かれる。その場には30人ほどが集まっていた。なんだこの状況は。なぜか強く惹かれるものがある。「おもてなし」のレベルではない。現に私は、インターンで参加した一学生だ。そして、インターンの趣旨は、「消滅可能性都市になってしまった石川県加賀市において何ができるか。」 なんだこの幸せな空間は。私は、混乱すると同時に人のつながりを具現化したものを見たのだと思う。そして、それは都会ではなかなか見れるものではないのだと思った。
みるみるうちに豪華な食事が出来上がった。
自己紹介が始まり、私の番になった。横浜出身ということを伝えると、シティボーイという認識が皆に染みついた。横浜にいてもシティボーイという自覚は全くない。加賀を訪れてから非日常的な時間が流れている。驚きが大きくも少しの高揚感、興奮が確かにあった。
「隣の芝は青く見える」そんな感覚も少しはあったのだろう。そのパーティは、1日であったがその他の日もものすごく充実していた。
これは、言語で全てを表現できるものではない。それほどの魅力が加賀にはある。
半年後、当時のインターン生数名で集まることができた。半年前に出会えた方々にもお会いすることができた。そこで出会えた仲間、そこでしか出会えなかったというのが相応しいか。そこで、地域の歴史、人生訓、活動記録。たくさんのことを教えてもらった。そのご縁が自分にあったことが幸せであり、感謝しても仕切れないものがある。仲間、地域の方、顔を合わせるだけで嬉しく思う。この時間ができるだけ長く続けば良い。地域のチカラはこういうとこに現れるのかもしれない。(712文字)
推し地域=石川県加賀市
「奇跡を結びつける食事」
(49) 「地域アイデンティティとしての学校」(ペンネーム:コバカン(49) 「地域アイデンティティとしての学校」(ペンネーム:コバカン)
地域の誇りといえば、華やかな祭りや名産品が思い浮かぶだろうか。しかし私にとっては、一見ありふれた「学校」こそが、その象徴であった。義務教育の場であり、誰もが通う施設に特別な意味を見いだすのは難しいかもしれない。だが、地域の人々が設立の資金を出し合い、材料を供給し、汗をかきながら築き上げた校舎だとしたらどうだろう。そこには確かに、地域の誇りが刻まれているのではないだろうか。
私が檜原村を初めて訪れたのは、冬の寒さが骨身にしみる十二月の暮れだった。都心からわずか50キロとは思えないほど静かな森と川の音に包まれた村。その山の斜面にひっそりと立つのが「藤倉小学校」である。今はNPO法人によって宿泊施設として使われているが、小さな木造の校舎は往時の姿をほとんど変えていない。敷地に一歩踏み入れただけで、ここに通った当時の子どもたちや、その周辺を支えた村人たちの息遣いがまだ残っているようにも思えた。
檜原村には、藤倉小学校のような廃校跡がほかにも数多くある。石碑として残された跡地もあり、村のあらゆる学校が同じ形で記憶を継承されているのだ。これほど徹底して「学校」を地域の大切な記憶として守ろうとする姿を、私は他に知らない。
檜原村の廃校は、ただの建物ではなく、地域の人々の絆と誇りを映し出す鏡である。静かな山あいに残された木造校舎に、私はこの村のかけがえのない魅力を感じずにはいられない。だからこそ、私にとって檜原村は“推し地域”なのだ。推し地域=東京都桧原村
「木造校舎のぬくもり」
(50) 「水の都 徳島」(ペンネーム:ひでちゃん)
私は徳島で生まれ、徳島で育った。徳島の一番の特色は水の都であるということだろう。徳島には四国三郎の異名を持つ吉野川が流れ、河口近くにはその支流が多く流れる。だから市内だけで138もの川が流れ、その中洲に城下町が発展した。吉野川によって運ばれた肥沃な土によって特産品である阿波藍が生産され、江戸時代から明治時代にかけて藍の交易で繁栄した。一時期は日本で10番目の都市であったともいわれる。また、徳島城も川を天然の堀として築城され、川を基準として町が整備された。今でも徳島の人は場所を伝えるときは川や橋を基準にすることも多い。思えば自分も知らない街を歩くとき、無意識に川を一つの目印にしているし、同じく川の多い広島には親近感を覚えた。また、私は小学生の時に、街探検として川を辿り、徳島の地理を覚え、これが地理に興味を持つきっかけにもなった。徳島の川は、徳島の街を形作る礎となっただけでなく、私自身の興味関心や感覚、思考回路の根幹の1つをも創り出してくれたものである。
そして今、徳島には水の都として、ひょうたん島と呼ばれる中洲を一周するひょうたん島クルーズが走り、川を利用した水上タクシーも整備されている。また、徳島が最もにぎわう阿波踊りを川の上から眺めるツアーも粉われている。徳島はこれからも川とともにあり続けるだろう。推し地域= 徳島県徳島市
「徳島を象徴する川と阿波踊り」
ぜひあなたも自分の”推し”地域を想い、言葉にしてみるのはいかがでしょうか!
次回第11弾もお楽しみに!
第1〜9弾はこちらから👇








