<第9弾>FLASPO × SMOUT"推し地域の魅力"エッセイコンテスト 投稿エッセイ作品を大公開! | FLASPO MAGAZINE

<第9弾>FLASPO × SMOUT”推し地域の魅力”エッセイコンテスト 投稿エッセイ作品を大公開!

若者が「自分だけが知る“推し地域”」の魅力を自由に綴ることを通じて、地域と若者・企業がつながる機会を生み出すエッセイコンテストを、2025年7-8月にFLASPOと地域とつながるプラットフォーム「SMOUT」 が共同開催!
全国各地から合計70以上の”推し地域”をテーマとした作品が集まりました!

そこで、第9弾の今回も、惜しくも受賞しなかった素晴らしい作品たちをご紹介します!

読むと、地域に関わりたくなる、自分も地域の魅力を言葉にしたくなる、心に残る作品ばかりです!

※コンテスト概要はこちら👇


<エッセイ紹介>

(41)「今も昔も 静かにそこに」(ペンネーム:のぞみ)

深緑の山々を背景に、ゆるやかなカーブを描くレールと、ほとんど下がることのない遮断棒。ここを通りすぎると、もうすぐ祖母の家。幼い頃から、毎年、夏になると家族と訪れてきたこの場所は、私にとって第二のふるさと。祖母の家の目の前にはすくすくと稲が育った田んぼが広がり、歩いても行ける距離に透き通る青い海がある。夜は、ちょっと山の上まで車を走らせれば満点の星空だって見える。ここには美しい景色が本当にたくさんある。でも、「ああ、今年もやってきたな」と私が思うのは、この踏み切りを見たとき。田舎なので本数は少なく、電車が通るところを見た記憶はあまり多くない。東京に住んでいた私たち兄弟にとって、電車とは人をいっぱい乗せた長い乗り物で、踏み切りはつねにカンカンと音を鳴らしているものだった。だから、短い電車がコトンコトンと走るのを見つけると、みんなそろって大喜びしたものだ。物心がつきはじめた頃の五つ下の弟は、東京に比べてあまりにも短い電車をバスだと勘違いして、それがなんだかおかしくてみんなで笑った。ここ最近、新しくできたもの。長年あったけどなくなったもの。この町の様子は、昔とちょっと変わった。だから、変わらないこの風景になんだか安心する。いつまでもこのままであり続けてほしい、私の大好きな場所である。

推し地域= 山口県長門市

「今も昔も 静かにそこに」

(42)「坂の上の癒しの空間へ」(ペンネーム:海空楓)

はぁ~… ふんずまった時、やるせない時、ふらり出かけた先が心休まる場所だったら…
大都会・東京から在来線で揺られること1時間ちょっと。ひとり無人駅ホームに降り立つ。
うつむき加減にホームの連絡橋を渡り、改札を出て、急な坂道を汗だくで登る。
細く曲がりくねった坂道を上ると古びた建物が現れ、その庭先に相模湾が広がる。
ここは小田原市根府川にある旧小田原市庁舎。
テラスの席に座り、相模湾を眺める。
時折り根府川駅を通る電車の音を聞きながら、ただただぼーっと。
ふぅ~… 不思議なもんだ。状況はなに一つ変わっていないのに、優しい海風を頬に感じ、穏やかに広がる相模湾を眺めていると、心が解きほぐされていく。
“タイパ” ”コスパ” ”最新” の忙しない今日この頃。
根府川はその風潮とは逆の ”ゆったり” ”のんびり” ”古い趣き” の街。
そんなことを想っていたら腹が減ったことに気が付いた。
ま、こんな日は昼からビールといきますか・笑
地元の魚屋さんが丁寧にこしらえてくれた焼き魚弁当をお供に、根府川の街に乾杯⭐︎ そして感謝⭐︎⭐︎

推し地域=小田原市根府川

「坂の上の癒しの空間へ」

(43)「「自然体」ではなく「自然」でありたい」(ペンネーム:あおい)

「どんな人になりたいですか?」
「私は自然のような人でありたい」
屋久島の川で初めてSUPをしたとき、その想いが腑に落ちた
普段は海にも川にも入らないけど
SUPはずっとやってみたかった

初めてのSUP
水の柔らかさを感じたり
冷たい水で顔を洗ってみたり
仰向けになって空を眺めてみたり

自然を肌で直接感じながら
「自然のようにありたい」
と思った

「自然体」ではなく「自然」

自然はただそこにあるだけ
誰かを楽しませようとしたりしない
ただそこにある

時には厳しく、でもどんな時も受け入れてくれる
来るもの拒まず去るもの追わず
ジャッジすることもなく
ただ穏やかにそこにある

癒されたい時や落ち着きたい時
元気になりたい時や気分を変えたい時
人は自然のそばにいく

自然はただそこにあるだけで
どう受け取るかは自分次第

自分が存在することで
自然のように安心感を与えられる人になりたいと思った

川の水を眺めながら鴨長明の方丈記の一節を思い出した
「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」

推し地域=屋久島

「山10日海10日里10日」

(44) 「三沢市大字三沢字淋代平」(ペンネーム:深草フミ)

東京は田舎者の集まりだ。東京生まれ東京育ちの人間なぞ、そうそういるものではなく。多くが思うとこあり、故郷を離れ、移り住んだ田舎者。流行のファッション、言葉、考え方、いろいろなもので武装しようとしているが、皮をめくれば土の香りがする。地元が嫌になって飛び出したところで、結局は心のどこかで地元を追っかけて、スーパーの野菜売り場の産地表記を気にしている。ひねくれもんで、どうしようもなくて、頭でっかちで、何が何だかわからんくなって、新宿の、朝ラッシュも来ない4時の始発に乗って北上する。するといつしか、人も、街灯も、電車もなくなって、だだっぴろい直線道路にぶち当たる。たまに走ってくる車は見たこともない外国のナンバーを背負っていて、トロトロ走る私を追い抜いていく。そんな弾丸道路の先っぽ、もはや日本でない森の端っこに、だだっ広い駐車場にやってきたボリショイサーカス団みたいな、珍奇な館と集団がいる。

 館内は奇怪不可思議でありながらも、文学的、哲学的な意思の塊が、天井からつり下がり、机の中に隠れていたりする。親に連れられた美術館、意味の分からない作品に大の大人が感心する、脳みその遠くに、ソフトフォーカスな記憶が浮かんでくる。自分は生まれていないのに、経験したことすらないのに感じるノスタルジー。

 順路に沿って歩いていくと、沼のような、池のような水たまりの周りを歩かされる。歩く松林と里山は、健康優良児で穢れを知らぬ子供を思う。あの先の神社の端に自転車を止めたはずなのだ。用水路に沿って下れば、幼馴染の居る家に着くはずなのだ。この水辺で遊ぶ約束をしたはずなのだ。

 真実と虚構が混ざりあい、経験していない記憶が形成され、楽しい、虚しい、といった人間的なアナログな感情が発情する場所。それが三沢なのだ。

推し地域=日本国青森県三沢市大字三沢字淋代平

「その記憶は本物か」

(45) 「詩を奏でる、緑と歴史の楽園 飛鳥山」(ペンネーム:橋本俊幸)

詩を奏でる、緑と歴史の楽園 飛鳥山

                   橋本俊幸



春は霞のヴェールに包まれ、夏は蝉しぐれのざわめきに満ちる。飛鳥山公園は、東京・北区の片隅にありながら、ふとした拍子に時間を忘れさせてくれる、不思議な静けさをたたえた場所だ。

 私は北区の王寺駅の近くに住んで、新聞配達で学費を稼ぎながら学生生活を送った。夜学に通っていた私は、夕刊の配達を急いで終わらすと、42年前にはあった公園の建物内のシャワーを浴びて、配達用のバイク、「スーパーカブ」に乗って学校に向かったものだった。

私は、久しぶりに飛鳥山公園を訪れた。王子駅に降り立ち、都電荒川線が軌道をきしませながらすれ違うのを眺めて歩くと、すぐに緑に覆われた小高い丘が姿を現す。

初めて見る小さなモノレール「アスカルゴ」が、のんびりと坂を登っていく姿は、どこか絵本の中の風景のようだった。

ここには、江戸の昔、八代将軍・徳川吉宗が「庶民にも花見を」と桜を植えさせたという故事がある。その心は、今も600本の桜の樹々に受け継がれている。春、満開の桜のもとでお弁当を広げる親子。枝越しに差し込むやわらかな光。花びらの舞う坂道を歩くたび、遠い記憶の中の「やさしい一日」に包まれるような気がした。

しかし、この公園の魅力は、ただの花の美しさだけにとどまらない。園内にそっと佇む洋館「晩香廬」や、赤レンガの「青淵文庫」。いずれも渋沢栄一ゆかりの建物であり、静謐な佇まいが時代の重みを伝えている。木漏れ日の中で見るその姿は、まるで時のしじまに浮かぶ記憶のようだ。

近くには「紙の博物館」や「北区飛鳥山博物館」などもあり、一日かけて、歴史や文化に触れることもできる。子どもたちは広場で蒸気機関車に登ったり、列車型の遊具で遊んだり。大人は展望ひろばのデッキで、新幹線の轟音とともに過ぎゆく空の雲を眺める。

この公園には、華やぎと静けさ、記憶と未来、遊びと学びが、やさしく同居している。どこを歩いても、心の奥で、何かがそっと目を覚ますような感覚がある。

飛鳥山とは、ただの公園ではない。東京という都市の中で、ひときわ豊かに詩を奏でる、緑と歴史の楽園なのだ。日常に疲れた心に、ひと匙の夢と回想を届けてくれる特別な場所。それが、飛鳥山公園である。

推し地域= 東京都北区王子 飛鳥山公園

「アスカルゴで行こう!飛鳥山の不思議旅」

ぜひあなたも自分の”推し”地域を想い、言葉にしてみるのはいかがでしょうか!

次回第10弾もお楽しみに!


第1〜8弾はこちらから👇

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