<第1弾>FLASPO × SMOUT"推し地域の魅力"エッセイコンテスト 上位5作品を大公開! | FLASPO MAGAZINE

<第1弾>FLASPO × SMOUT”推し地域の魅力”エッセイコンテスト 上位5作品を大公開!

若者が「自分だけが知る“推し地域”」の魅力を自由に綴ることを通じて、地域と若者・企業がつながる機会を生み出すエッセイコンテストを、2025年7-8月にFLASPOと地域とつながるプラットフォーム「SMOUT」 が共同開催!
全国各地から合計70以上の”推し地域”をテーマとした作品が集まりました!

第1弾の今回は、コンテストで受賞した上位5作品をご紹介!
読むと、地域に関わりたくなる、自分も地域の魅力を言葉にしたくなる、心に残る作品ばかりです!


※コンテスト概要はこちらから👇


<エッセイ紹介>

審査員特別賞(ピエール賞) :「地元の魅力再発見」(ペンネーム:ゆきやこんこ)

会津は福島県の東部に位置し、山に囲まれ冬に雪のよく降る町だ。夏には山の雪解け水が町まで流れ、秋には美味しいお米が収穫される。米どころゆえの幻の地酒やそれに合う郷土料理が多数存在する。

会津で生まれ育った人間として、私の舌が肥えてしまったのは偶然ではないだろう。
大学のために上京してきた私は鷹を括っていた。東京には美味しい食べ物があるに違いないが、それは相応の値段を払っているのだから美味しくて当然だ、それに比べて会津は同じくらいの美味しい感動ををうんと安く感じられるから偉いだろうと。

そういう歪んだ郷土愛を吹聴して回っていたが、事件は今年の正月に起こった。
社会人は2年めとなり、東京生活も6年目となった。今年は久しぶりに会津に帰省してゆっくりしていた。その折に会社の同期から1報のLINEがきた。
「会津にいっていいか」と。
私はもちろんと返しつつ少し焦っていた。レンタカーを予約してどこにいこうか悩んだ。悩む間は短く、翌日に同期はきてしまった。

ぼうたらやニシンの山椒づけ、こづゆや馬刺しなど会津の伝統的な料理をたくさん紹介してみたものの、私の説明はどこかネットの情報をそのまま伝えたようなものになってしまい、相手をその気にさせることができなかった。半日近くダラダラとドライブをしながら、私はずっと焦っていた。もし会津を、何もない町だと思われてしまったらどうしよう。絞り出す思いで私たちは大内宿に辿り着いた。

大内宿は、歴史深い会津の中でも割と山の中にある、伝統的な藁葺き屋根の建造物が並ぶ景観が観光客に人気の場所である。そこでも同期はまあこんな場所かと頷いてくれたが私は本当に満足しているかとても不安だった。帰ろうとしたとき、ふと同期が藁葺き屋根の建造物が並ぶメインストリートから少し外れた田んぼの方に神社がありそうだと指差した。

雪深い田んぼは、私にとってはなんてことない風景だった。

むしろ歩きにくいから行きたくないなとまで少し思っていた。だが同期はそんなのお構いなしで犬のように駆けて行って、雪の中にズボリと飛び込んでは屈託ない笑顔を見せてくれた。それはこの旅の中で見なかった笑顔だった。

その時に、私はこの会津という地を、田舎に来たんだからこういうのが見たいんでしょう、をあまりにも紋切りで当てはめて見ていたのだということに気づいた。観光地化されている場所はどこも綺麗に整備されていて、それは私自身が東京に来て、大学生の頃にドライブや旅行をした時に見た景色と似たような感情を、同期にも抱かせるものとなっていたのだった。

でも、東京にいる人たちが本当に地方に求めているのはそんな田舎っぽい経験ー「東京と比較できるような何かを経験する」といった類のことではなく、もっとその土地が年輪のように積み重ねてきた内側の生っぽい部分にあるんだと、そう知らされたのだった。

そんな中気持ちで、二人で足跡のつかない雪道の中向かった神社は、とても神々しく荘厳でそれは生っぽいと言うに十分な景色だった。

推し地域= 会津

「高倉神社の雪景色」

審査員特別賞(山下賞): 「熱くて寒くて、嫌いで好きで。」(ペンネーム:るるるん)

私が生まれ育った秋田県横手市。ここは県内でも有数の盆地で、夏は暑すぎるし、冬は寒すぎる上に大量の雪が降る。親や地元の友達とも「ここさは、なんもねな(ここには、何もないね)」とよく話していたくらいだ。しかし、大学進学と共に地元を離れて気づいたのだ。「何もない」のではなく、「いつしか当たり前と化していた地元の宝の粗探しをしていたのだ」ということに。

実家の近くの雄物川中央公園。幼少期は遊具で遊び、小学生時代はラジオ体操や雪遊びをした思い出の場所である。週末は多くの子供で賑わう公園だが、とある敷地内の一角だけはいつも時代が変わらないかのように静けさを持ち続けている。そこが江戸時代から大正時代の古民家が移築・復元されている、雄物川民家苑木戸五郎兵衛村である。

ここにはたくさんの思い出が詰まっている。
1つは小学5年生の時のしめ縄作り。お正月になったら玄関に飾る「アレ」だ。授業の一環ではあったものの、初めての取り組みそのものに心底わくわくしていた。苦戦しながらも完成させたときの感情は忘れられない。テレビのインタビューに答えたのも懐かしい思い出だ。
もう1つは、餅つきである。米どころ秋田ということもあり、冬には餅つき体験ができる催しがあった。数回しか杵を持てなかったが、小さいながらに持ち上げたあの感覚と出来たての餅の美味しさは別格だった。

そして一番好きだったのは小正月行事である「かまくら」だ。かまくらはドーム状かつ中に人が入れる雪の家のようなもので、中には神棚が飾ってある。既に中には人が座っていて、たくさんの声が飛び交う。
「あがってたんせ〜」
「ゆっくりしていってけれ〜」
この言葉についつい引き寄せられてしまうのだ。

そして、大きなかまくらがあれば小さいかまくらも存在するもので。年明けの横手川沿いには「ミニかまくら」と称した、バケツサイズのかまくらが数千個並ぶ。人が入らない代わりに中央に空いたくぼみにろうそくを立てるのだ。ミニかまくらに点されたろうそくの灯りが幻想的で、見ている我々の心にも光が点ったような感覚に包まれる。しかし、どうもスマートフォンのカメラで撮るには周りが暗くて綺麗に撮れない。なんでもスマートフォンに残そうとする現代において敢えて目に焼き付けることにも価値があるのだと改めて気づかせてくれるのであった。

氷点下の町中は手がかじかむほど寒いのに、かまくらに集まる人や込められた想いは寒さを忘れるほど熱い。だからうんざりするほど降る雪も嫌いで嫌いで、それ以上に「おもしぇ」この地元が大好きだ。

推し地域=秋田県横手市

「人と人をつなぐ灯火」

第3位 「存在ごと、抱きしめてもらえる場所」(ペンネーム:図工室)

”豊島美術館“
 はじめてその場所を訪れたとき、思わず「わぁ…」と声が溢れてしまった。入り口からは想像できないほど広く、柔らかな形をした空間。ぽっかりと2ヶ所空いた天井から見える、瀬戸内の青空。風でゆっくりと揺れるリボン。床に座ったり、ごろんと寝転んだりしている人たち。そして、地面をすーっと伝う水滴。
 豊島美術館の空間にいると「ただこの世界にいること」を肯定してもらっているような気持ちになる。普段、私たちは何かを発して生きている。社会の中の自分の役割を必死に果たそうとする。

仕事ができる自分でいなくちゃ。
人には優しくしなくちゃ。
メールはすぐに返さなきゃ。
夢や目標に向かって努力しなくちゃ。
挨拶ははっきりと。時間は守って。
外見も内面も磨かなきゃ。

そんな自分でなければ、まるで生きていてはいけないかのように。

 でも豊島美術館は、いいのいいのと言う。地面に座ってただ空間を眺めていると、こんな声が聞こえてくる。

風が気持ちいいでしょう?
ほら、鳥の声もするよ
青空が見える?
今日は少し雲があるね
葉っぱが揺れる音がきこえる?
ほら、水の粒も笑ってるよ

静かなのに、たくさんの祝福で満ちている。
 そしてわたしは安心する。人は生きているだけで、こんなにもたくさんのものを受け取っている。何かを成し遂げなくても、誰かにとって価値がなくても、この身体ひとつで、わたしはただここにいていいんだと。存在が許されるそんな場所が一つあれば、私たちは生きながらえることができる。
 今東京で生きている私は、他者や世間が求める価値や役割に押しつぶされそうになってしまったとき、心を豊島美術館に飛ばしている。
瀬戸内海の青色を進んだ先にあるあの場所には、今日も天国のような声が満ちているのだろうなと想像するのだ。
祝福の声が満ちる、存在を抱きしめてもらえる場所。
私にとって豊島美術館はそんな場所だ。

推し地域=豊島(香川県小豆郡土庄町)

「豊島美術館から見える瀬戸内海」

第2位 「人々を見守る「是政橋」」(ペンネーム:あかじゃが)

私の人生で最後の大学受験が終わった。第一志望の国公立大学は不合格、後期で受けた大学は面接だった。1時間ほどで終わった。頭の中では不合格の三文字しか思い浮かばなかった。話したいことが上手く話せず、本番の弱さが出てしまった。
失意の中で、ふと受験した大学の近くに東京競馬場があることを思い出した。私は競馬が好きだ。せっかく上京したんだから寄ろう、平日でも競馬博物館は開いている。博物館の展示は面白かった。しかし私の心は全く晴れなかった。展示されている競走馬の戦績は輝かしい「勝利」が刻まれているものだった。私は現在進行形で「敗北」の中にいるというのに。悔いの残る曇天の中、博物館を出て遠くに大きな橋がかかっているのが見えた。名も知らぬ橋に、何を思ったか惹かれて、吸い込まれるようにその橋へと向かった。

競馬場からその橋までは遠かった。15分ほど歩いてようやく着いた。「是政橋」というらしい。400mほどの長さだろうか、長い橋だった。ゴミもほとんど落ちていなかった。だが、それだけだ。目立った特徴のない、なんの変哲もない橋だ。だが、落ち着いた静かな雰囲気を纏っていた。
車は走っていたが、平日の昼間だったからか人通りはあまりなかった。そのまま引き返しても良かったが、足は自然と前へ踏み出していた。橋の上で広がる視界には、穏やかな多摩川の流れと府中の街並みが見えた。優しい風を感じながら歩みを進める。重たい空模様の中、黙々と歩いていると、前方から3人の女子高校生が歩いてくる。きっと普段から是政橋を使っているのだろう、制服を着て談笑しながら隣をすれ違っていった。後ろから軽装でランニングをしている男性が来た。彼は軽やかに私のことを抜き去っていった。彼らはここで、それぞれの「日常」を営んでいた。

橋の上はどこか風通しがよく、心の奥まで風が届いてくるかのようだった。心を揺らしたその風は、私にある気づきを与えた。是政橋の上に広がるのはまさしく「日常」ではないか。地元の人たちが毎日ここを通って生活している。一方、私は大学受験という人生の岐路、「非日常」を終え、その気分が抜けないままこの橋を渡っている。でも、他の人から見れば私もその人たちの生活の一部として映っているのかもしれない。
誰かにとっては通り過ぎるだけの橋でも、私にとっては人生の節目に、新しい生活が始まる特別な場所になり得る。もしかしたら私の日々の中にもたくさんこうした場所があったのかもしれない。
多くの「日常」を運び、見守ってきた是政橋。その橋の上で、私は「非日常」から新しい「日常」へと進もうとしている。この橋は、そんな私も静かに、暖かく見守ってくれているような気がする。そう思うと、なぜだかこの橋に不思議と愛着が湧いてきた。そして気がつけば橋を渡り終えていた。少し薄くなった雲の隙間からは、一筋の光が出ていた。

推し地域=東京都府中市是政

「日常の中でも、非日常の中でも、人々を見守る場所。」

第1位 「人生のどこかで、寄り道してほしい町」(ペンネーム:gata)

東京から福島・逢瀬町に移住して、もうすぐ9年になる。
最初に来たとき、この町には「ないもの」ばかりだった。駅はなく、バスは1日に数本。コンビニもない。冬になれば、夜の静けさはまるで真空のようで、自分の呼吸の音さえ聞こえるほどだった。

でも、雪が降る夜だけは違った。山から吹きおろす風がゴウゴウとうなり、雪を巻き上げて、あたり一面を音で埋め尽くす。音がするのに、不思議と寂しさはなかった。

逢瀬町は、観光パンフレットには載らない。
映える景色もなければ、有名な店もない。あるのは、田んぼと畑と、ぽつんと建つ直売所。そこでおばあちゃんが採れたてのネギを「持ってきな」と渡してくれる。「余ったら干せばいい」と笑ってくれる。スイカを切ってくれるおじさんは、「また来たか」と一言だけ。それだけで、なんだか元気になれる。

ここで暮らしていると、誰かの「困った」が自然に聞こえてくる。「今度、手伝ってくれる?」と唐突に声がかかる。最初は、“地域のために”と思って動いていた。けれど、気づけばこちらが何度も救われていた。誰かに必要とされることよりも、自分がこの土地に必要としていたのかもしれない。

この町は、「いなか」。
不便だし、不器用だ。でも、だからこそ“余白”がある。何もないと思っていたはずの風景に、自分の足あとがうっすらと残っていく。それが嬉しかった。

あるとき、東京で疲れ果てた友人が「ちょっと行ってみる」と逢瀬を訪ねてきた。観光地じゃないから、特別な体験を用意したわけでもない。畑でじゃがいもを掘って、昼は近所の人と一緒にごはんを食べて、夜は焚き火をしただけ。それだけなのに彼はぽつりと、「もうちょいここにいようかな」とつぶやいた。

逢瀬町には、“決断”の一歩手前にあるような風景がある。
焦らせない。急かさない。でも、確かに心を動かしてくる。
地域の人も、決して「またおいで」とは言わない。でも、また来たときにはちゃんと覚えていてくれる。

逢瀬にいると、自分の「本音」や「弱さ」が顔を出す。
東京では気付かなかった感情が、この町では自然とこぼれてくる。それを受け止めてくれる人がいる。ただ隣にいて、茶を淹れてくれる。冗談を言って笑ってくれる。そんな時間の中で、いつの間にか肩の力が抜けて、自分にとっての“正直”が取り戻されていく。

9年経った今でも、「ここに住んでます」と胸を張れる自信はない。だけど、「ここに居たい」という気持ちは、毎年、冬が来るたびに、少しずつ深まっていく。

逢瀬町は、“人生が変わる町”じゃない。
でも、“人生が曲がる場所”ではあると思う。
ほんの少し、考えが変わる。感情が揺れる。立ち止まる。
そんな一歩手前の時間が、ここには流れている。

俺の“推し地域”は、やっぱり逢瀬町だ。
この町に来て、自分の知らなかった自分に、ちゃんと出逢えた気がする。

推し地域= 逢瀬町(福島県郡山市)

「まだ出逢っていなかった自分に、出逢える町」

ぜひあなたも自分の”推し”地域を想い、言葉にしてみるのはいかがでしょうか!

次回第2弾もお楽しみに!


第二弾はこちらから👇

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